History of Peace Nighter
ピースナイターは2008年8月に旧広島市民球場において「折り鶴ナイター」の名称で初めて開催されました。
きっかけは「カープの試合で平和のイベントをすれば、
たくさんの人に平和をアピールできるのでは」というある職員の発案でした。
カープ球団に協力いただき、今では広島から平和をアピールするイベントとして定着しています。
主催:生協ひろしま 広島東洋カープ 中国新聞社 (公財)広島平和文化センター 広島電鉄 中国放送
ピースナイターは2008年8月に旧広島市民球場において「折り鶴ナイター」の名称で初めて開催されました。
きっかけは「カープの試合で平和のイベントをすれば、
たくさんの人に平和をアピールできるのでは」というある職員の発案でした。
カープ球団に協力いただき、今では広島から平和をアピールするイベントとして定着しています。
2008年8月26日
旧市民球場で「折りづるナイター」を初開催。
2020年までに核兵器廃絶を目指す、広島首長会議のイメージカラーである緑色のポスターを観客で掲げ、平和への願いをアピールしました。
広島復興のシンボル、旧市民球場のスタンドを緑色に染め、球場から平和と核兵器廃絶の願いを発信。
球場の外では核兵器禁止条約早期締結を求める署名活動が行われ3,721筆の署名が集まりました。
2009年9月15日
新球場「マツダスタジアム」に場所を移して開催。
原爆ドームと同じ高さ(25m)の内野自由席に白いポスターを掲げピースラインをつくり、被爆の象徴である原爆ドームとすぐ横にあった復興のシンボル旧市民球場をつなげる事で平和の尊さと核兵器の廃絶をアピール。
生協ひろしまの組合員さんから公募で選ばれた2名のお子さんが始球式を行いました。
5回の裏には高校生によるグランドパフォーマンスも行なわれ、球場一体となって平和への願いを発信しました。
2010年8月5日
今回から内野自由席に配布しているピースラインのポスターを広島復興の象徴である広島東洋カープをイメージした赤色に変更しました。
昨年に続き組合員さんから公募を行い、ヒロシマの願いを「継承」していく小学生が始球式を行いました。
5回の裏、ジョンレノンの「イマジン」に合わせ、観客全員でポスターを掲げ平和への願いを発信。緑の染まった球場に赤いピースラインが鮮やかに浮かび上がりました。
2011年8月5日
被爆地ヒロシマの願いをアピールするとともに、東日本大震災の復興を願い開催。
漫画「はだしのゲン」の作者故中沢啓治さんが始球式を行いました。
翌日6日の原爆記念日には53年ぶりとなる公式戦が行われました。
「うれしゅーていけん」と言いながらマウンドに上がった漫画「はだしのゲン」の作者で故中沢啓治さん。6歳で被爆、家族も家も失い、焦土と化した広島で生きた中沢さんにとってカープは希望、野球は生きる活力だったそうです。
被爆5年後に誕生したカープ。中沢さんはその喜びを漫画「カープ誕生物語」に書きました。マツダスタジアムの外周の一角にその喜びを刻む「カープ誕生物語像」が建っています。
2012年8月5日
被爆から67年、5回目の開催となったピースナイターは広島から平和を願うイベントとして定着。
始球式は5歳で被爆、姉を原爆でなくした元プロ野球選手、張本勲さんが行いました。
平和への願いを込めて1球を投じる張本さん。
5回の裏、ファンの垣根を超えて球場全体で平和をアピール。
2013年8月6日
原爆の日の8月6日に開催。被爆2世でミュージシャン、俳優の吉川晃司さんが古里広島で始球式を行いました。
5回の裏終了後、被爆ピアノの伴奏でジョンレノンの「イマジン」を独唱する吉川晃司さん。
この年、広島・福島・静岡の3球場で行われたセリーグ公式戦がピース・復興ナイターとして開催されました。平和と復興への思いが野球を通じて全国に広がりました。写真は福島で行なわれたピースナイターの様子。
2014年7月30日
始球式は万年Bクラスのカープを支えてきた地元出身の強打者、故山本一義さんが行いました。
山本さんは7歳の時に被爆。1960年にカープに入団。
原爆の投下から懸命に復興に立ち向かった人々の心の支えがカープである事を選手としてもひしひしと感じたそうです。
「平和だから野球ができる。」原爆で亡くなられた方の無念を思い、復興に立ち向かって人々に感謝を込めて一投する山本さん。
始球式後の取材に応える山本さん「平和をアピールするためにもカープは勝たんといけん」山本さんの平和とカープへの思いが伝わってきました。
2015年8月5日
被爆から70年、8回目となるピースナイターを開催。
母と祖母が被爆。原爆投下3年後に生まれた、世界で活躍するプリマバレリーナ森下洋子さんが始球式を務めました。
「カープは広島県民の大きな励み。私も平和を祈りながら踊り続けていきたい。」バレエのコスチュームにカープのユニホームをまとい、始球式を行った森下さん。
5回の裏終了後、自ら綴った平和への祈りと古里広島への感謝の思いを読む森下さん。
2016年8月6日
被爆から71年、被爆者の高齢化が進み、被爆の実相を受け継ぎ伝えていくことが課題となっています。
9回目となるピースナイターでは被爆者の記憶を受け継ぎ、継承活動を行う「被爆体験伝承者」一期生の保田麻友さんが始球式を務めました。
「平和について何かを考えるきっかけになってほしい」保田さんは被爆者から受け継いだ被爆体験を次の世代に伝える講和やワークショップを開いています。
マツダスタジアムの各入場口で平和の大切さをアピールしながらピースナイター新聞を配る高校生ボランティアの皆さん。
2017年8月2日
球場から平和と核兵器廃絶を発信する「ピースナイター」が10年目の節目を迎えました。
始球式は廿日市市生まれで被爆2世の歌手、高橋真梨子さんが務めました。
「私にできるのは歌を歌うこと。歌を聴いた人に幸せにを感じてもらい笑顔になってもらうこと。それが平和を願う気持ち、平和の道筋になると私は信じています。」平和への思いを込めて笑顔で一投する高橋真梨子さん。
県内12万筆を目標にピースナイター新聞で核兵器を廃絶に向けた「ヒバクシャ国際署名」を呼び掛けを行いました。
2018年8月7日
広島の代表的なプロスポーツといえば野球の広島東洋カープとサッカーのサンフレッチェ。
「ピースナイター2018」の始球式は被爆4世のサンフレッチェ広島 川辺駿選手がスポーツができる平和への感謝を胸に一球を投じました。
8月11日に被爆地にあるサッカーチーム、サンフレッチェ広島とVファーレン長崎によるリーグ戦「ピースマッチ」が開催されました。
グランドから360°の角度でピースナイターの様子をご覧いただけます。
2019年8月6日
試合開始前のセレモニーではグランド内に被爆ピアノが持ち込まれ、演奏が行われました。
5回の裏には、被爆ピアノが奏でるイマジンに合わせ、観客が一体となり、球場全体を緑に染め、原爆ドームと同じ高さの赤いピースラインを浮かび上がらせ、核兵器の廃絶の平和への願いをアピールしました。
5回裏終了後、地元広島で活躍するシンガーソングライター藤江潤士さんと被爆ピアノがコラボした「イマジン」が演奏されました。
緑色に染まるスタンドに原爆ドームと同じ高さ(25m)の赤いピースラインがきれいに浮き上がりました。
2020年8月7日
被爆75年目を迎えた13回目のとなるピースナイターは新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、入場制限が行われる中の開催となり、始球式、グランドパフォーマンスも中止となりました。
大型スクリーンに組合員さんや子どもたちによる平和へのメッセージが映し出されました。
イニングの合間に組合員さんのご家族や子どもたちよるピースメッセージが大型ビジョンに映し出され、核兵器廃絶と平和への願いをアピールしました。
ピースナイターでは広島東洋カープ、ビジターチーム全員がピースナイターワッペンを腕に着けてプレーを行います。
2021年8月21日
14回目のピースナイターも昨年に続き、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、入場者数の制限、イベントの縮小の中での開催となりました。
始球式では「子ども碑めぐりガイド」として活動していた寺田帆波さんが平和への願いを込めて力強い一球を投じました。
被爆者の平均年齢は83歳を超え、被爆者も減少し続ける中、被爆の実相の継承が大きな課題となっています。
始球式では次世代を代表し、子ども碑めぐりガイドとしても活躍した寺田帆波さんが務めました。
この年、生協ひろしまは創立50周年を迎えました。被爆地「ヒロシマ」にある生協として核兵器も戦争もない平和な世界の実現に向け、草の根の平和活動を続けていきます。
2022年8月6日
15回目となるピースナイターを開催。新型コロナウイルスの影響で中止となっていた場内パフォーマンスが3年ぶりに実施されました。スタンド全体で野球を観戦できる幸せ、平和の大切さを発信しました。
始球式は、地元広島で活動する被爆3世のシンガーソングライター 佐々木リョウさんが務めました。「まだ被爆者からの話を聞くチャンスはあります。でも時間には限りがあります。今、生の声を聞いて僕たちが継承しなくてはいけません。」被爆の実相を風化させない思いが佐々木さんの曲作りや活動の原動力になっています。
5回の裏、ジョン レノンのイマジンの曲に合わせ球場全体がピースナイター新聞の緑色に染まり、原爆ドームと同じ高さ(25m地点)に3年ぶりとなる赤いピースラインが浮かびあがりました。
2023年8月6日
16回目となるピースナイターを開催。新型コロナウイルスの影響で2020年から中止となっていた「グランドパフォーマンス」が4年ぶりに実施。中止となっていた場内パフォーマンスが3年ぶりに実施されました。ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、球場全体で核兵器の廃絶と世界の平和を願いアピールを行いました。
始球式は被爆者の祖母を持つ、被爆3世のシンガーソングライター瀬戸麻由さん(呉市)が務めまらられました。瀬戸さんは広島市内のカフェで働きながら、「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)のメンバーとしてのメンバーとして活動しています。写真は始球式の前に追悼と平和を願い黙とうを捧げる瀬戸さん。
5回の裏には4年ぶりにグランドパフォーマンスが行われ、パフォーマーの子ども達のリードで両球団のファンの垣根を越えて球場全体が緑に染まりました。野球が楽しめる日常と今も戦争や核被害で苦しんでいる世界はつながっています。戦争と核兵器のない世界の実現に向け私たちは平和をアピールし続けます。