ピースアクションinナガサキレポート|新着情報

ピースアクションinナガサキレポート2013/09/20

 ピースアクションinナガサキに参加した岩崎和奏さんのレポートを紹介します。
 
s-nagasakireport.jpg長崎に行って
                                    廿日市市立平良小学校5年   岩崎和奏

 

私は、8月7・8・9日、ピースアクションinナガサキに参加しました。
1日目は、最初に長崎原爆資料館に行きました。資料館では、長崎のまちの被害の様子を写真や映像で見て 知ることができました。熱で溶けたビン、瓦などが展示されていました。熱線の直射を受けた瓦の表面は沸騰し泡立ったので、ざらざらになっていました。長崎も広島と同じように被害を受けたことがわかりました。次にガイドさんの案内で原爆が投下された場所から、城山小学校まで歩きながら被害の様子を教えてもらいました。城山国民学校〔城山小学校〕は、鉄筋コンクリート3階建ての立派な建物でしたが、爆心地から約500mだったため爆風が窓から入り、天井を突き抜けました。なので中はめちゃくちゃになりましたが、建物は崩れずに残りました。その当時の校舎の一部は残して資料館となっていました。そこには、被爆当時の城山国民学校付近のパノラマ写真や、亡くなられた先生方の写真などがありました。城山国民学校では1500人の生徒のうち1400人が亡くなりました。そして城山国民学校のグラウンドは原爆で亡くなったたくさんの人を火葬するのに使われたそうです。
2日目に、被爆者の方から証言を聞きました。お話して下さったのは、当時城山国民学校の3年生だった奥村アヤ子さんでした。戦時中、学校では勉強よりも訓練が主で、爆弾が落とされたときに身を守る方法〔目を4本の指で押さえ、残りの1本で耳を押さえる、そして顔を地面に伏せる〕を教わっていたそうです。原爆が落とされたとき外で遊んでいた奥村さんは、とっさにその方法で身を守り、大きな柿の木のそばだったこともあり、やけどは負ったものの奇跡的に助かることができました。しかし自分以外の8人の家族を原爆で失ってしまいました。8月9日の朝まで一緒に暮らしていた家族…。小学校3年生でひとりぼっちになるなんて、自分だったらと考えても想像もできません。奥村さんの涙ながらに話して下さる姿を見て、戦争で亡くなることも悲しいけど、生き残った人もまた、悲しみやつらさを抱えて生きなければならないことはとてもつらいことだと思いました。
3日目には、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました。長崎市長の長崎平和宣言を聞いて、世界には今も、1万7千発以上の核兵器が存在していることに驚きました。本当に世界平和を目指すなら、この1万7千発以上の核兵器はあってはならないと思います。核兵器を持っている国は、ヒロシマとナガサキの苦しみを知るべきです。そのために私たちがやるべきことは、原爆の恐ろしさを世界中の人に知ってもらうこと。そして語り継いでいくことだと思います。
私は長崎で過ごした3日間でたくさんのことを学び、考えました。私が今回学んだことを、自分のまわりの人に伝えることも大切な役目だと思っています。そしてこれからも、平和について考えたり学んだりする気持ちを忘れずにいたいです。