原爆ドームの補修・保存工事が終わり完成式のあいさつで荒木市長は、「原爆ドームは風雪に耐えながら核兵器使用による人類自滅の危機を警告するとともに、世界の平和を訴えてきた。核兵器の被害の恐怖を物語る証人として、平和のシンボルとして、永久に保存し、次の世代に引き継いでいかなければならない」と訴えた。
朝日新聞1990.4.17

 原爆ドームは、もと広島県産業奨励館といわれ、レンガ造りの3階建てのモダンな建物でした。
 あの歴史的な一瞬、この建物は、そこで働いていた約30人の人々と運命を共にしました。しかし、爆心地のほとんど直下にあったため、建物は倒壊をまぬ がれ、がらんどうの残骸を残しました。一面焼野原となった広島で、鉄骨ドームの特色ある姿は、遠くからもはっきりと捉えることができました。周囲の町並が次々と復興されていく中で、ここだけは被爆当時のありさまをそのまま残していました。こうして、いつの頃からか「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。
原爆ドームの歴史
1966(昭和41)年 広島市議会原爆ドーム保存を決議
1966(昭和41)年 浜井広島市長が、保存工事費4,000万円は全額募金でまかなうことを表明
1967(昭和42)年 募金4,000万円を突破、募金打ち切りを表明。最終的には、6,800万円集まる
1967(昭和42)年 保存工事及びドーム周辺整備工事完了
1987(昭和62)年 20年ぶりにドームの調査を行い、その結果 、早い時期に補修工事が必要であることが判明
1989(平成1)年 荒木広島市長が、工事費2億円のうち、1億円は募金によることを表明
1990(平成2)年 原爆ドーム保存工事完了
原爆ドーム保存事業基金設置
1996(平成8)年 世界遺産となる
原爆ドーム保存募金は、平成2年4月で約4億円(8,250件)になり、本工事で使用した1億円を超える残りは、今後原爆ドーム保存のために使われる。

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