建立年月日 1955年(昭和30年)
建立者 広島戦災供養会

 平和公園の北側に直径10メートル余りの円形の芝山があります。このあたりは中島本町という繁華街が存在していました。ところがこの町が原爆に依り一瞬にして地獄と化し、数日後黒焦げになった死体や、皮のむけた丸裸の死体が何処からともなく運び込まれ焼かれました。
 この場所に翌年仮納骨堂が建てられ、その後10年たった1955年(昭和30年)、現在の円形古墳を形どった供養塔が完成し、各地に散在していた遺骨をここに集め納められました。6〜7万柱ともいわれ、そのうち、名前がわかって引きとり手のない方は855人あります。(1997年7月現在)多くは無縁仏で原爆の悲惨さを語り続けています。
 供養は毎年8月6日の早朝より夕方まで各宗派がこの場所で供養しています。納骨堂の中には等身大の聖母観音像と約1メートルの多宝塔が1978年までは納められていましたが、別 な場所に移されました。

CLOSE