建立年月日 1963年(昭和38年)8月6日
建立者 峠三吉詩碑建設委員会
平和のための広島県文化会議

 1950年(昭和25年)11月、朝鮮戦争に原爆使用を検討中であるというアメリカ大統領トルーマンの声明をきき、彼は抗議をこめて、翌年1月〜3月の間に「原爆詩集」25編の内18編を書き上げました。碑文は、この詩集の“序”として書かれたものです。
 書いた場所は、国立広島療養所の一室で「窓ガラスに、歯みがき粉を溶いてぬ り、夜は新聞紙をピンで止め、守衛の目を盗んで、午前1時ごろまでスタンドの灯の下で書いた」(和子夫人の手記)とあります。
 1951年(昭和26年)ベルリン世界青年平和祭に、日本代表作品の一つとして「原爆詩集」(孔版)を送り、世界的な反響を与えました。そしてベルリンアピールでは、6億人の署名が集まりました。原爆詩人、峠三吉の詩は、あまりにも有名です。
 彼は、爆心地から3キロメートル余りの自宅で被爆。
 1953年(昭和28年)3月10日死去、享年36歳でした。

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